このコーナーは院長が過去に経験した不妊治療で印象に残っているものについて書き綴ったものです。

30代後半のAさんが、私の不妊外来を初めて訪れた時、その風貌が医師としての私に何かを
予感させました。
「わたしは18歳になっても生理が来ず、ホルモン注射で生理を来させていました。
排卵誘発剤を何周期もうっているのですが、一度も排卵したことがないんです。」
(原発性無月経 これは重大な問題があるかも知れない)
Aさんにさっそく超音波検査を施行したところ、子宮は存在するのですが、卵砲どころか、
両側の卵巣が確認できませんでした。
(もしかしたら、卵巣の存在しない患者さんに排卵誘発剤をうちつづけてきたのではないか)
私は前医の治療に疑問を抱きつつ、Aさんにホルモン検査を受けてもらうことにしました。
2週間後Aさんは来院しました。結果は下垂体から放出されるFSH(卵砲刺激ホルモン)と
LH(黄体化ホルモン)が異常に高くて、卵巣から放出される女性ホルモンであるエストロゲンが
ほとんど0の状態でした。
すなわち、下垂体から卵巣に強く働きかけているにもかかわらず、卵巣は全く機能しないか、
存在しない状態でした。
「染色体検査は受けたことはありますか。」
「いいえ」
「では原因を調べるため検査していってください。」
さらに3週間後Aさんは来院しました。結果はある程度予測していましたが、
ターナー症候群・モザイクでした。
ターナー症候群とは、性染色体が正常な女性ならXXであるものが、
染色体が一本欠損しXOとなり卵巣などを欠損し不妊症となる疾患です。
モザイクとは正常な染色体をもつ細胞とターナーのような異常をもつ細胞が混在して
いる状態を指します。
(モザイクならもしかして卵巣が存在する可能性があるかもしれない。でももし逆だったら・・・
確かめるためには腹腔鏡が必要だが、でもそこまでして結果が悪ければ、
知らずに排卵誘発剤をうっていたほうが彼女にとって幸せかもしれない。
いやそんなことは医学的に間違っている。あてもなくただ注射をうつことなど彼女も
望んではいないはずだ。)私の心の中でしばし葛藤が起きました。
私は本人に事情を説明し、腹腔鏡を受けるかどうかご主人と相談してくるようにお話しました。
しばらくして、Aさんは腹腔鏡をやってほしいと願い出ました。
「ご主人は何て?」
「主人はやさしい人で現実をふたりで受け止めようと言ってくれました。」
私はその言葉にほっと安堵しました。
腹腔鏡の検査の日がやってきました。結果はあいにく予想どおり、卵巣は存在するものの
ほとんど痕跡だけで機能はありませんでした。
医師としては患者さんにその要望がかなえられないと宣告することが一番辛いことです。
後日Aさんに日本では認められていませんが、卵子を提供してもらっての体外受精の話をしました。
「ご兄弟はいるの?」
「いいえ、わたしの両親は里親で本当の両親は知らないんです。」
その言葉はわたしの心を再び曇らせました。
「夫とふたりで人生を歩んで行こうと決めました。」
「でも骨粗しょう症になるといけないから、ホルモン補充療法は必要だよ。」
数日後、Aさんはホルモン注射に来院しました。
「変わりないかい」
「変わりないです」と彼女は答えてにこっとしました。
そのふっきれた様子に私はほっと肩をなでおろしました。